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令和2年2月20日

 部屋から物が減るにつれて、音が響くようになってきています。音が響いています。それはスリッパ越しの足音だったり、扉を開ける音だったり、私の声だったりしています。こんなに音の反響する部屋を知らないので、私は不安になります。音が響いているので。

 段々と物が無くなっていって、最後にからっぽになったら、ここが私の部屋だと云えるか知らん。引っ越ししてきた日だって、もっと物がありました。ごみ箱以外になんにもない、パソコンのデスクトップ画面みたいです。ごみ箱はありますが、それは私ですか? 部分的にそう。私がいなければごみ箱に仕事はありませんし、ごみ箱がなければ私は仕事ができないので、人という漢字はそうやって成りました。この部屋こそが大きなごみ箱みたいですネ:)

 物を捨てるということは、保持していた理由を否定することでした。です。私にとっては。古い理由に新しい理由をぶつけて捨てるのは、屋上に揃えて脱いだ靴に添えておく文書みたいです。もしかして、それは遺言ですか? 部分的に。でも、これはただの自己否定です。あなたは間違っていましたと否定して物を捨てるのは、とてもサディスティックな気持ちになります。自分に対してなのに。自分に対してなので、これはマゾヒスティックな気分なのかもしれません。確かに加害しているのに。一枚の硬貨には裏と表があるけれど一枚の硬貨に違いはないので、これもそういうことだと思います。でも、物を捨てるということは、それが一枚のコインであることを否定するということでもあるかもしれません。部分的に:) はい。

 明日は資源ごみの収集日です。大好きな収集日です。でも可燃ごみの日はもっと好きです。実際に燃やす様子を見たら、もっと好きになれるでしょうか。お気に入りだった服が袋詰めにされた途端ごみになってしまったみたいに、目の前で燃えたらこんどは何になるのでしょうか。成仏みたい、ではありません。それじゃあ、灰かい? はい。灰々。なんちて。正解は「衣類は資源ごみなので燃やさない」でした。エヘエヘ。

「街は燃えても、一番ダメな私は残るの」

 でもね、ごみは捨てても、いちばんダメな私は残るの:)
 みんな、手放すときには名前がごみになってしまったみたいに、段々と取り残されてゆく私にもきっと似合いの名前が待っていると思います。棺のなかで死人になる前に、先生の思い出のなかで幽霊になる前に。私はいつだって救われたいのです。大きな手のひらで掬われるみたいに。でもこれって、単純にアイデンティティが欲しいというだけのお話かもしれませんネ。ごみには名前があるけれど、私には名前がありません。うわーん、助けてドラえも〜ん! しょうがないなぁ、エリクソンは。

 ちなみに、屋上の書き置きはラブレターでした。
 或いは、この文章も:)

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